高知県立文学館

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寺田 寅彦について
寺田 寅彦について

寺田 寅彦について

「天災は忘れられたる頃来る」の名言で知られる物理学者であり、
夏目漱石に文才を見出された文学者・寺田寅彦の紹介です。

寺田寅彦記念室

  • 寺田寅彦記念室入口

    寺田寅彦記念室入口

    詩心と科学精神が混然と融合した随筆で知られる物理学者・文学者の寺田寅彦を紹介

  • 寺田寅彦の生涯

    寺田寅彦の生涯

    寅彦の父母や三人の妻たちなどの資料で、高知時代や寺田家を知る

  • 文学者寺田寅彦

    文学者寺田寅彦

    直筆原稿や師・夏目漱石の手紙など貴重な資料から、寅彦の文学を読み解く

  • 科学者寺田寅彦

    科学者寺田寅彦

    「天災は忘れられたる頃来る」で有名な寅彦の研究を、論文草稿などでたどる

  • 寅彦と芸術

    寅彦と芸術

    音楽や絵画を愛した寅彦のバイオリンや蓄音機、自画像などの遺品を展示

  • 寅彦ゆかりの人々

    寅彦ゆかりの人々

    寅彦と周囲の人々との交流を、遺された品々からうかがい知る

  • ミニ企画コーナー

    ミニ企画コーナー

    折々にテーマを変えて寅彦の魅力を掘り下げる

新着情報

Information

寺田 ( てらだ ) 寅彦 ( とらひこ ) とは

寺田寅彦39歳

物理学者、文学者。物理学者としては、初期にX線に関する研究を行い、学士院恩賜賞受賞。また、震災に関する研究も多く、「天災は忘れられたる頃来る」などの言葉で有名。寅彦の研究はあまり経費をかけないものが多いが、着想は素晴らしく、実証を重んじた。
文学者としては、主に随筆を執筆。科学者のまなざしで日常を切り取った随筆の他、「団栗」など叙情性に富んだ優れた小品を残している。

寅彦略年譜

(年齢は数え)

高知時代〜19歳

1878年明治11年 1歳 11月28日、東京市麹町区で生まれる。父・利正は陸軍会計一等監督。父、母・亀とも高知県人。
1886年明治19年 9歳 父の予備役編入に伴い、高知へ帰る。江ノ口小学校に転入。
1891年明治24年 14歳 7月末、高知県立尋常中学校(現・高知県立高知追手前高校)入学試験に失敗。
8月頃、肺尖カタルを患い、休学。
1892年明治25年 15歳 9月、高知県立尋常中学校に入学、成績抜群によって2学年に編入。
1894年明治27年 17歳 8月、日清戦争。

熊本五高から帝大へ〜42歳

1896年明治29年 19歳 9月、熊本の第五高等学校(熊本大学の前身)に入学。夏目漱石に英語を、田丸卓郎に数学と物理を学ぶ。
1897年明治30年 20歳 7月、阪井夏子と結婚。
1898年明治31年 21歳 5月、田丸の家でバイオリンを聴き、自分も購入。
夏、漱石に俳句を学ぶようになる。「ホトトギス」等へ投稿。
1899年明治32年 22歳 9月、東京帝国大学理科大学物理学科へ入学。
1900年明治33年 23歳 9月、漱石留学、横浜港で見送る。「ホトトギス」に小品「車」が掲載され、子規の称賛を得る。
12月、夏子が喀血。
1901年明治34年 24歳 2月、夏子、高知へ帰り、種崎で療養生活。
秋、寅彦肺尖カタルで喀血。大学を休学し、高知県須崎で療養。
1902年明治35年 25歳 9月、正岡子規死去。
11月、妻・夏子死去。享年20歳。
1903年明治36年 26歳 1月、漱石が帰国、以後しばしば漱石宅へ出入りする。
7月、大学院に進学。
1904年明治37年 27歳 2月、日露戦争。
1905年明治38年 28歳 8月、浜口寛子(ゆたこ)と結婚。
1907年明治40年 30歳 4月、漱石が朝日新聞社へ入社。
5月、田丸が東京帝国大学教授に。
1909年明治11年 32歳 1月、東京帝国大学理科大学助教授に任命される。
3月、ヨーロッパへ留学する。
1911年明治42年 34歳 6月、帰国。
1913年大正2年 36歳 8月、父・利正死去。
1914年大正3年 37歳 7月、第一次世界大戦。
1916年大正5年 39歳 11月、東京帝国大学理科大学教授に任命される。
12月、漱石死去。「物理学の基礎」を執筆し始める。
1917年大正6年 40歳 7月、「ラウエ映画の実験方法及其説明に関する研究」に対し、帝国学士院より恩賜賞を受賞。
10月、妻・寛子死去。
1918年大正7年 41歳 8月、酒井紳子と結婚。
1919年大正8年 42歳 12月、大学で胃潰瘍のため吐血。

療養から晩年〜58歳

1920年大正9年 43歳 大学を休んで静養する。メーテルリンクに刺激され、随筆を書くようになる。
4月、スケッチ用具を求め、以後盛んに油絵を描く。
11月、物理学の哲学的考察「物理学序説」の原稿を起こす。
1922年大正11年 45歳 11月、アインシュタイン来日。講義を聴き、歓迎会にも出席。
1923年大正12年 46歳 1月、初めての随筆集『冬彦集』刊。
9月、関東大震災。以後精力的に震災被害の調査を行う。
1924年大正13年 47歳 5月、理化学研究所の研究員となる。
1926年大正15年 49歳 6月、母・亀死去。
1927年昭和2年 50歳 3月、地震研究所所員専任となる。
1929年昭和4年 52歳 10月、世界大恐慌。
1931年昭和6年 54歳 9月、満州事変。
1932年昭和7年 55歳 5月、5.15事件。
9月、田丸卓郎死去。
1935年昭和10年 58歳 軽井沢の星野温泉を旅行後、9月中旬頃から床につく。
転移性骨腫瘍で12月31日死去。
正三位に叙せられ、旭日重光章を授けられる。

寺田寅彦文庫

当館の「寺田寅彦文庫」は、寺田寅彦のご遺族から寄贈いただいた貴重な資料を中心に所蔵。

主な資料

  • いちご図風呂敷

    いちご図風呂敷

  • 寺田寅彦あて寺田夏子書簡

    寺田寅彦あて寺田夏子書簡

  • 寺田寅彦著「やもり物語」原稿

    寺田寅彦著「やもり物語」原稿

  • 寺田寅彦著「石油ランプ」原稿

    寺田寅彦著「石油ランプ」原稿

  • 寺田寅彦あて夏目漱石自筆絵はがき(明治37年10月22日)

    寺田寅彦あて夏目漱石自筆絵はがき(明治37年10月22日)

  • 寺田寅彦論文「割れ目と生命」
(昭和9年)

    寺田寅彦論文「割れ目と生命」
    (昭和9年)

  • 寺田寅彦のタイプライター

    寺田寅彦のタイプライター

  • 寺田寅彦愛用のバイオリン

    寺田寅彦愛用のバイオリン

  • 寺田寅彦画「自画像B」

    寺田寅彦画「自画像B」

  • 津田青楓画「漱石先生閑居読書之図」

    津田青楓画「漱石先生閑居読書之図」

著作について

寅彦の著作は独創性・先見性等に富み、今なお学ぶことが多い。
実質的に寅彦が手がけた10冊の随筆集の装幀にも注目。

随筆

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『冬彦集』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『冬彦集』

    1923(大正12)年1月 岩波書店

    寺田寅彦の処女随筆集。大正8年末に胃潰瘍で吐血し倒れた後の療養中、メーテルリンクの影響を受け、何か書いてみようと随筆を書くようになったという寅彦の作品が収められている。入院中、病院に響く謎の音について書いた「病院の夜明けの物音」を筆頭に、療養中に熱中した油絵で自画像を描いた際の気づきを記す「自画像」、寺田家で初めて飼われた猫について書いた「鼠と猫」など所収。
    ※写真は2刷(大正13年12月)。

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『藪柑子集』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『藪柑子集』

    1923(大正12)年2月 岩波書店

    寅彦の第二随筆集。亡き妻夏子の思い出とその遺児のことを書いた「団栗」や、「嵐」「やもり物語」など、漱石や子規の影響下で写生文を書き、「ホトトギス」に投稿していた若き寅彦の作品を中心に所収。
    当館では、「やもり物語」の寅彦直筆原稿と作品に対する漱石評(書簡)、「嵐」の漱石評(書簡)を所蔵。

  • 寺田寅彦著『万華鏡』

    寺田寅彦著『万華鏡』

    1929(昭和4)年4月 鉄塔書院

    「科学者と芸術家」「物理学と感覚」「怪異考」など所収。

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『続冬彦集』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『続冬彦集』

    1932(昭和7)年6月 岩波書店

    関東大震災の朝に書きあげられた「石油ランプ」、この頃寅彦が夢中になっていた映画について書いた「映画時代」、郷里・高知で食べた懐かしい味を書いた「郷土的味覚」などを所収。
    「石油ランプ」「映画時代」「池」は、当館に直筆原稿を所蔵。

  • 寺田寅彦著『柿の種』

    寺田寅彦著『柿の種』

    1933(昭和8)年6月 小山書店

    大正9年5月から昭和8年2月まで松根東洋城が主宰する雑誌「渋柿」巻頭に連載された「無題」「曙町より」「三毛の墓」など4編をまとめたもの。

  • 寺田寅彦著『物質と言葉』

    寺田寅彦著『物質と言葉』

    1933(昭和8)年10月 鉄塔書院

    「自然界の縞模様」「科学者とあたま」など所収。

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『蒸発皿』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『蒸発皿』

    1933(昭和8)年12月 岩波書店

    「藤の実」「涼味数題」「夏目漱石先生の追憶」「田丸先生の追憶」「連句雑俎」など所収。
    当館に「空想日録」「試験管」直筆原稿を所蔵。

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『触媒』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『触媒』

    1934(昭和9)年12月 岩波書店

    「科学に志す人へ」「庭の追憶」「鳶と油揚」など所収。
    当館に「学位に就て」「Rokugwatu no Hare」直筆原稿を所蔵。
    ※写真は2刷(大正13年12月)。

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『蛍光板』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『蛍光板』

    1935(昭和10)年7月 岩波書店

    「天災と国防」「台風雑俎」「自由画稿」など所収。
    当館に「自由画稿」直筆原稿を所蔵。

  • 吉村冬彦(寺田寅彦)著『橡(とち)の実』

    吉村冬彦(寺田寅彦)著『橡(とち)の実』

    1936(昭和11)年3月 小山書店 ※没後刊行

    「曙町より」「震災日記より」「糸車」「子規の追憶」など所収。
    当館に「糸車」直筆原稿を所蔵。

物理学

  • 『Umi no Buturigaku』

    『Umi no Buturigaku』

    1913(大正2)年1月 日本のローマ字社

    ”Rigaku”シリーズの第2冊。

  • 『地球物理学』

    『地球物理学』

    1915(大正4)年2月 文会堂書店

    ※昭和8年に岩波書店より改訂版出版。坪井忠二と共著。
    写真は改訂版。

  • 『物理学序説』

    『物理学序説』

    1947(昭和22)年4月 ※没後刊行

    物理学の哲学的考察。未完。ポアンカレ「偶然」の訳などを付録に収録。

寺田寅彦ゆかりの地

  • ①小津神社

    ①小津神社

    寅彦の父・利正が病弱だった寅彦の病平癒を祈り、その後願ほどきで奉納した石橋や石柱などが現存。

  • ②江ノ口小学校

    ②江ノ口小学校

    寅彦の母校。小学校の入口付近に寅彦のレリーフがある。寅彦が通っていた頃より北東に移転している。

  • ③旧江ノ口小学校(跡地)

    ③旧江ノ口小学校(跡地)

    寅彦の母校跡地。江ノ口市民図書館の裏側付近(旧百軒町)。

  • ④寺田寅彦記念館(旧寺田邸)

    ④寺田寅彦記念館(旧寺田邸)

    寅彦が少年時代を過ごした家。随筆「祭」「重兵衛さんの一家」「庭の追憶」などの舞台。

  • ⑤城西公園

    ⑤城西公園

    北西の川沿いに随筆「花物語(昼顔)」の一節を刻んだ碑がある。

  • ⑥高知城

    ⑥高知城

    寅彦が幼い頃遊んだ場所。随筆「花物語(常山の花)」「郷土的味覚(菱の実)」などの舞台。

  • ⑦高知県立文学館

    ⑦高知県立文学館

    寅彦資料を多数収集・展示する。

  • ⑧高知県立高知追手前高等学校

    ⑧高知県立高知追手前高等学校

    寅彦の母校(旧尋常中学校)。随筆「蓄音機」「蓑田先生」の舞台。

  • ⑨オーテピア

    ⑨オーテピア

    図書館等複合施設。敷地の北東に寅彦の立像があり、5階の高知みらい科学館には寅彦の展示がある。

  • ⑩鏡川河畔

    ⑩鏡川河畔

    随筆「涼味数題」には、幼い寅彦が鏡川の南磧(みなみがわら)で開かれていた納涼場に行き夜店を眺めたとある。詳しい場所は不明。

  • ⑪寅彦墓所

    ⑪寅彦墓所

    高知市東久万・王子谷の山を40メートルほど登ったところにある墓所に、寅彦の父母、寅彦、三人の妻が眠る。

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