江戸時代後期の土佐藩士・漢詩人・教育者。詩社・嗽玉唫社(漱玉吟社・そうぎょくぎんしゃ)を結成。教授館学頭を務め、幅広い階層の人々の才能を受け入れ、土佐漢詩壇に多大な影響を与えた。
| 1785(天明5) 高知城下の南与力町に生まれる。 |
| 1799(寛政11) 父死去、跡目相続。 |
| 1808(文化5) 江戸勤務(~文化7)。文化・文政年間の江戸勤務中、江湖社の詩人たちと交友、清朝の新詩論・性霊主義の影響を受ける。 |
| 1820(文政3) 江戸御留守御目付・御留守居物頭・江戸御軍備御用兼帯。翌年御目付役に抜擢。 |
| 文政6~7 この頃嗽玉唫社結成か。 |
| 1825(文政8) 教授館学頭を命じられ、以後土佐勤務に。 |
| 1830(天保元) 『嗽玉唫社絶句』刊。 |
| 1849(嘉永2) 御馬廻組頭に。翌年免職、御馬廻に。 |
| 1853(嘉永6) 11月17日没。69歳(数え)。 |
<おもな著作>
『鏡水百絶』
『鏡水百詠』
『鏡水詩稿』
『四書国字解』
編纂『嗽玉唫社絶句』











