安政4(1857)年土佐郡井口村(現高知市)に藩祐筆・植木弁七直枝の子として出生。藩校致道館を経て東京の海南私学に入学するも、軍人養成学校であることを知り退学。以後はほとんど独学自習で諸文献に学び、数え年18歳の頃、板垣
高知市生まれ。自由民権運動の理論的指導者。口語体で執筆された「民権数え歌」や『自由詞林』の民権詩歌は、日本近代詩のさきがけとなった。 1857(安政4) 土佐郡井口村(現・高知市)の藩祐筆の家に生まれる。 1873(明治
【本の情報】 単行本: 1887(明治20)年10月 市原真影出版 原本は国立国会図書館に1冊あることがわかっているだけの稀覯本。発売禁止になったとも言われている。 石川巌「明治文学稀書解題」によると、石川が百部限定で複
【原文】勤則不匱 【訓読】勤むれば則ち匱(とぼ)しからず 【大意】努力さえすれば乏しくなることはない 【解説】 植木枝盛の書を扁額にしたもので、当館の寄託資料です。 「勤則不匱」は孔子の編と伝えられる歴史書『春秋』の注釈