高知県立文学館

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文学館ニュース
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【本の情報】
初出:「自由新聞」に1882(明治15)年8月12日~翌年2月8日まで全97回連載。のち続編を「仏蘭西太平記 自由の凱歌続編」と題して「東雲新聞」に1888(明治21)年10月14日~12月9日の間掲載。続けて「仏蘭西革命記 自由の凱歌続編二編」を、「東雲新聞」1889(明治22)年1月3日~3月27日まで掲載している。

単行本:第一編(1~20回)は明治15年10月、第二編(21~40回)は同年12月、ともに絵入自由新聞社より刊行。残された41回以降は1888(明治21)年12月、翌年5月に盛業館より「東雲新聞」連載分も含め増補・改稿して出版。

原作:アレクサンドル・デュマ著『ある医師の回想』(1844~51)連作中の『アンジュ・ピトゥ』の英訳本『バスチイユの奪取』(1879)。

 

【あらすじ】
(第一編)孤児となったピトウは、乳兄弟セバスチアンの父ギルベルト医師の世話で伯母に引き取られるが、放校となり、幼馴染カセリインの父・ビロウ邸に寄宿。そこで、アメリカのギルベルトから自由民権を説く小冊子や手紙が来て、ピトウとビロウはパリへ向かう。宰相ネツカーの罷免に抗議する民衆に巻き込まれ、ドイツ騎兵と対峙、セバスチアンからギルベルトの捕縛を聞いてビロウはバスチーユ襲撃を決意。

(第二編)ビロウは民衆を従え、パリ府庁、バスチーユ監獄で交渉、戦闘の末監獄は解放され、ギルベルトは救い出される。

(続編)民衆はダロニー等を次々虐殺。一方で、ギルベルトのバスチーユ幽閉の原因はかつての恋人で、今はチャーニイ伯夫人となり王后に仕えるアンドレーの前歴を隠すための謀略だと判明。ギルベルトは国王ルイ十六世の侍医として国王に建策。一定の理解を示す国王だが、皇后マリー・アントワネットは王政に固執する。ビロウは国王に侍すギルベルトを非難、革命に失望する。ギルベルトは急進的な過激派の行動はイギリスの宰相ピットの策謀であることを示し、ピトウを帰村させる。一方、あるパーティーで皇后の失策により、味方であったはずの臣下たちを怒らせる。

 

【作品について】
「自由の凱歌」は、フランス革命を題材としたデュマ原作の小説を元に、日本の人々にも民権思想をわかりやすく伝えるため夢柳が加筆しながら翻案した作品です。
作家の徳富蘆花は『思い出の記』(1959(昭和34)年)で「自由新聞」が来ると声のいい友人が「自由の凱歌」を朗読、聴衆は時に喝采の声を上げたと回想しています。
さて、「自由新聞」連載分は、民衆がバスチーユ牢獄を開放する第一編と、内部の亀裂を書く第二編で構成されます。
連載がバスチーユ奪還を迎える頃、福島県では県令と民衆の対立が深まり、やがて激化事件の一つである福島事件が起こります。当時、自由党は大弾圧を受け、また板垣退助洋行問題で党内分裂を招いていました。党の危機回避のため「自由新聞」は過去の暴動の肯定から一転、暴動に加担した人々を政治思想がないと批判。一方夢柳の「自由の凱歌」は、民衆に「そうさせた要因」をより強く批判、「自由新聞」とは異なるスタンスです。
外国文学の翻案でありながら、まるで福島事件を描いたようなこの作品は、やがて夢柳の意に反し中断。その後約7年を経て出された完成版は高い評価を受けました。

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