高知県立文学館

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文学館ニュース
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『汗血千里之駒 坂本龍馬君之伝』
大阪新聞社版
明治25年7月再版(初版は明治20年12月)
※校訂者の名なし。30齣の構成、末尾が龍馬たちの死で終わることなどから雑賀校訂と推測される。

 

【本の情報】
初出:「土陽新聞」1883(明治16)年1月24日~9月27日連載。
うち3月30日(第53回)の翌日から紫瀾入獄のため休載。7月10日より再開するも掲載は不定期に。全68回。
絵は山崎年信(月岡芳年の弟子で芳年四天王に数えられる)、藤原信一(年信の弟子)。

単行本:紫瀾本人による校訂版はなく、当初は宇田川文海による校訂版が出版されるも未完。
『天下無双人傑海南第一伝奇 汗血千里駒』初編、前編 明治16年5月(初編)、6月(前編) 駸々堂(27回まで)
以降は雑賀柳香による大幅な改訂がなされた完結版が出版された。
『汗血千里駒』前編・後編・続編 明治16年7月(前後)、9月(続編) 摂陽堂(62回まで)他
※雑賀柳香(さいがりゅうこう)は戯作者。仮名垣魯文門下。雑賀の補綴版は本筋に関係ない部分を省略し、新聞連載に比べはるかにドラマチックになったと評価される。この雑賀版は広く読まれたが、これが紫瀾の承認の元になされたものかは不明。

【あらすじ】
幕末、土佐で上士と下士の軋轢による井口事件が起き、下士である池田は責任を取るために切腹した。死んだ池田の血を刀の帯に浸し、立ち去ったのが坂本龍馬であった。
友人たちとの交流や幼少時からの様々な挿話を積み重ね、幕末の日本を生きた龍馬の生涯を描く。

【作品について】
『汗血千里駒』は、坂本龍馬を広く世に知らしめた最初の小説です。自由闊達で、人々をひきつけてやまない龍馬の姿は、のちの歴史小説にも大きな影響を与えました(蛇足ですが紫瀾自身、豪放磊落な性格でした)。当時は龍馬のことを知る人もまだ存命であり、紫瀾はそうした人々からの聞き書きなども挿入、時代の空気が感じ取れるのも魅力です。
一方で、物語の最後では、自由民権の志士で龍馬の甥である坂本南海男を龍馬の後継者として書くなど、自由民権の思想を示す政治小説でもあります。
この作品が執筆されたのは明治16年、前年の集会条例改正などによる政府からの弾圧の強化に加え、板垣退助の洋行問題による内部分裂により、自由党は衰退しつつありました。紫瀾は龍馬を魅力的に描くことで、作中その思想を受け継いだとされる板垣や後藤象二郎の汚名を返上し、もう一度自由党を立て直したかったのかもしれません。

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